渋谷区の歴史について

2018年9月6日

渋谷という名の由来について

渋谷の歴史をひも解く前に「渋谷」という名前が付いた由来について解説します。
実は、渋谷の由来に関しては諸説あるものの定説というのは未だありません。その中でも有力だといわれている説をいくつかご紹介させていただきます。

・昔この場所が入江であったころ、「塩谷の里」と呼ばれていたそうです。その「塩谷」が「渋谷」に変わったとする説。
・昔、この地を流れる川の水が、鉄分を多く含む為、赤錆色の「シブ色」だったそうです。
そしてその川の名称が「シブヤ川」と呼ばれていたからとする説。
・平安時代の終わりごろ、この地は河崎重家が領主だったそうです。河崎重家は京都の御所に侵入した賊を捕え手柄をたてたといわれています。その賊の名が渋谷権介盛国。そこで河崎重家は「渋谷」の性をいただき、それまで「谷盛庄」と呼ばれていた領地が「渋谷」に変わったとする説。

いかがでしょうか。どの説もそれらしいといえばそれらしく思えますよね。
今では当たり前のように皆さんが使用している「渋谷」という地名ですがその由来は定かにはなっていません。その一方で渋谷の歴史ははっきりしている部分が多いのでこの記事を読んでいただいて渋谷に対する理解をぜひ深めていきましょう。


東京五輪を起爆剤に成長していった渋谷区

そんな渋谷について、お洒落でエネルギー溢れる渋谷区しか知らない若者にはぴんと来ないこともあるでしょうが、この一帯はかつて、農村でした。歴史をひも解くと、3つあった小さな村が合併しましたが、それでもやや大きな村になったに過ぎず、産業派生の条件は整っていませんでした。さらに町制に移行して、1932年に東京都に編入され、ようやく現在の区になりました。これを起点に、区内の状況は一変し、農業中心だった産業が、交通、建設、土木関係の産業エリアとなったのです。
この時代に前後して、このエリアは鉄道会社のビジネス拡大の重要拠点となり、その中でも渋谷駅は中核を担っていました。昭和初期には東横線の渋谷駅が開業し、関東エリアで初のターミナルデパートが開業しました。また、1964年の東京オリンピックを起爆剤に、渋谷区内の開発は大手私鉄の激烈な競争下で商業ビル、商業施設が次々に建てられ、渋谷の光景は一変しました。このころから渋谷は一気に近代化の道を突き進んだのです。
このように、1990年代までは鉄道関連企業や商業ビルが渋谷区の隆盛を支えていました。現在ではTシャツにジーンズで出社するIT企業の若い社員が闊歩するビジネス街も、かつては猛暑にもかかわらずスーツにネクタイを締めた鉄道会社系の社員が重い鞄を提げて駆け回り、日本経済を支えていた時代もあったのです。

渋谷区の新しい歴史はITとアパレルの融合

1990年代半ばから2000年代初めにかけて、東京都渋谷区エリアにはITベンチャー企業が急激に集積しました。当時はビットバレーと呼ばれ、ITバブル崩壊で一時は下火になったかに見えましたが、2010年代ごろから再びこのエリアには新たなIT産業の集積が始まり、現在でもその勢いに陰りは見えません。著名な大手IT企業だけでなく、意欲とアイデア力にあふれるIT系のスタートアップ企業も続々と区内で起業しています。
なぜこの区内にIT企業が集まってくるのかを考察すると、区内が歴史的に見てアパレル系企業が非常に多く、ファッション情報を発信しているということと関連があるといえるのではないでしょうか。クリエイティブな分野のアパレル業界と、デジタル情報ビジネスのIT企業はビジネス的なマッチングがよく、ビジネス連携や共同プロジェクトが実現しやすいために、このエリアが2つのビジネスの接着剤となったという説があります。
渋谷駅という抜群のアクセス力を誇り、若者が集まり情報発信が盛んなエリアであること、定期的なセミナーやイベントによる相互のスキルアップとビジネスチャンスが醸成できること、自己啓発につながりやすいという立地などが、鉄道会社主導型の系列企業によるビジネス街のみならず、IT企業の進出やそれを支える不動産企業、建設関係企業の進出を促しました。さらには金融面でのビジネスチャンスという観点から銀行もこのエリアに力を入れ始めるなど、このエリアはビジネスの複合的な集積街へと常に変貌を遂げていっています。